先日、テレビ番組『絶狼 DRAGON BLOOD』が最終回を迎えました。
皆様様々な意見があると思いますが、個人的にはモヤモヤする結末だと感じました。
どうしてモヤモヤするのか、ちょっとアウトプットしようと思います。
そもそも『絶狼 dragon blood』(以下『絶狼』)とはこんなお話。
「人を喰らう魔獣ホラー。そのホラーを狩り、人を守る存在が魔戒騎士。絶狼(ぜろ)=涼邑零(すずむられい)もその一人。零は、竜の卵を巡り、人間を滅ぼそうと憎しみを滾らせる竜騎士と対峙することになる」
ここまで読むと「ハハァ。悪い竜騎士を正義の魔戒騎士が倒すという筋書きなのか」と思われるでしょう。
実際、途中まではそうした趣で物語は進んでいました。
けれども、竜騎士は元々は人間であり、かつて多数派(マジョリティ)側に所属する人間によって排斥された過去を持つが視聴者に明かされたことで、物語の感触は変わってきました。(終盤動き出す黒幕?も含めて竜サイドの登場人物は皆多数派に排斥された側であることは一貫しています。)
確かに、人間の立場としては、人間を滅ぼそうとする竜騎士の行いは止めてもらわない訳にはいきません。
しかし竜騎士達は元々その人間の都合や悪意で一方的に切り捨てられた存在。であれば、人間の立場から竜騎士を倒そうとする零達は竜騎士を排斥した人間とどう違うのか。そんな疑問が浮上してきました。
元々、魔戒騎士の敵はホラー、及びそれに類する者です。
ホラーは人間の邪心(欲望など)を糧にし、人間を喰らうというとても分かりやすい人間の敵であり、悪役です。
そして、シリーズの黒幕は我欲のために大体ホラーの力を利用し、人間を食い物にするような、邪心を持った者たちです。こちらもまた文句なしに悪役です。
しかし、竜騎士は違います。
竜騎士が人類を滅ぼそうとするのも元はと言えばその人間に排斥されたことがきっかけであり、彼が邪な人物であったわけではありません。
また、竜騎士の力の源である竜も、基本的に邪悪な生き物というわけではありません。
ホラー狩りを”本業”とする魔戒騎士が竜や竜騎士を斬るのは”アリ”なのか、たとえ”アリ”だとしても、それは人間の都合で少数を切り捨てているだけなのではないでしょうか。
作中、魔戒騎士は”守りし者”とも呼ばれています。人間を守る者だと。しかし、魔戒騎士が守る人間とはどこからどこまでのことなのか。そして人間を守るためなら、それ以外の存在を切り捨てて良いのでしょうか。
人間でもホラーでもない、竜という存在と相対したことで、魔戒騎士の掲げる”守りし者”という大義は大きく揺さぶられたように感じられました。
最終回、零と一騎打ちをする竜騎士は言いました。
「教えてくれ、俺は何だ?」
自分は竜なのか、人なのか、と。
零は何も答えません。
竜だ、と呼ぶには竜騎士は(良くも悪くも)人間らしい感情にまみれていました。
しかし人間だ、と答えれば零は”守りし者”としてのタブーを犯してしまったことになります。
ここで零が結論を出せなかったことに、”守り者”という大義の限界を見た気がしました。
結局のところ、物語はこの点に大きく踏み込む余裕もなく進行し、幕を閉じました。
排斥するものとされるものの問題、魔戒騎士の大義の限界。
これらの問題は恐らく、物語の制作上意図せずして浮上した問題なのでしょう。
しかし”なにか”を守るとした以上、いつかは相対しないわけにはいかない問題だったと言えます。
そして、この問題は実生活を生きる我々にとっても無縁のことではありません。
なぜなら、人間として生きている以上、周囲なり、自分なり、何かしらを守っているはずなのですから。
そして、自分の守れる範囲の外にいる者たちまでは守れない、あるいは守らない。
『絶狼 DRAGON BLOOD』という作品は、結果としてこの世に生きる全ての”守りし者”に対して重い十字架を見せつける形になりました。
……とまぁ固っ苦しい話はさておき、CG&アクションすごかったですね!心滅獣身絶狼格好良かったですね!(ダイナシ)