『快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー』も始まり、出遅れた感もありますが、先日放映の終わった『宇宙戦隊キュウレンジャー』について、全体を見て感じたことを語っていきたいと思います。
・さいしょに:オッキュー!なところとNOTオッキューなところが両方目立つ
これは、あくまで個人的な感想なのですが、と言うか此処から先全部個人の意見であり「これが正しい!」と言うつもりは無いのですが、この『キュウレンジャー』と言う作品は「面白い!」と感じさせる点=いわばオッキュー!なポイントと「モヤモヤするなぁ…」と思える=NOTオッキューなポイントがそれぞれハッキリしていたように感じられます。
これは『9人戦隊』、『宇宙全体が舞台』など様々な実験的な要素をブチ込んだ結果の一つなのだと思います。
そこで、今回はNOTオッキューなポイントとオッキュー!なポイントに分けて語っていきます。
まずは、NOTオッキューなポイントを語っていきたいと思います。
NOTオッキューその1.悲劇!大切な人との対決!!……の多用
まずは、ストーリーの展開の中で、キュウレンジャーの大切な人がジャークマターの仲間として現れると言う展開が多かった事が挙げられます。
スコルピオ、ダークナーガ、アントン博士、ドン・アスラン、クエルボ、そして劇場版のゲース・インダベーことホイ・コウローの6人。
文字に起こしてみるとすごく多いという程では無いにせよ、少し多い。
しかも、最初のスコルピオが強い印象を残しすぎてしまった感があります。
もちろん、似たような導入であっても、その後の展開はそれぞれ違ったものなので、似たストーリーを安易に使いまわしたと言う印象はありませんでした。
NOTオッキューその2.描ききれなかった部分が多すぎる!
9人→12人となったキュウレンジャーの活躍をバラエティ豊かに描いた一方、様々な”描いて欲しかった”要素が描かれず、NOTオッキューな気分になってしまった場面がありました。
たとえば、様々な設定やギミック。キューエナジーとは、キュウボイジャーとは、解放組織リベリオンの実態とは……と言った様々な要素がゴソっと描かれず、物語のバックグラウンドにハッキリしない部分が意外と多く出てしまった感があります。ついでに言えば、オモチャ的な部分でも活かされなかった部分も多かったり。(サイコーキュータマの内蔵音声とか)
他にも、ジャークマターサイドのキャラクター。幹部入れ替わり制であることも相まって魅力的な悪役キャラクターがあまり多くなかったように感じられました(いなかったわけではないですけどね)。フクショーグンなんて、最期にアチャキューガと言う『兵器』にされても悪い意味で違和感が無かったですし。
キュウレンジャーをフォーカスした分、スケールの大きな世界も十分に描かれておらず、リベリオン達によるレジスタンス活動の中でキュウレンジャーの戦いがどういう位置にあるのかと言うのが今ひとつ分かりづらく感じました。
極論、宇宙の人々がいてもいなくてもキュウレンジャーの戦いは変わらなかったのではないかとも受け取れました。ベタな話ですが、キュウレンジャーの戦いを見た宇宙中の人々が立ち上がり、打倒ジャークマターの機運が高まる……みたいな話がもっとあっても良かったんじゃないかなと。
とはいえ、作品に詰め込まれた要素がそれぞれとても魅力的だったからこそ、Notオッキューと感じられたとも言えます。
NOTオッキューその3.シシレッド/ラッキーの早すぎた完成
キュウレンジャーの中心、シシレッド/ラッキーは当初「俺はラッキーだ!」と無邪気に信じる、良くも悪くも子供っぽい人物でした。
それが第11~12話、強敵イカーゲンに敗北したことを通して大きな成長を遂げ、『究極の救世主』に相応しい精神性を手に入れました。
こうしてほぼ完成されたメンタルを持った救世主ラッキーですが、それが以降の展開ではNOTオッキューな方向に作用してしまったきらいがあります。
より正確に言えば、ラッキーのメンタルをどう扱うか、制作サイドが持て余してしまったのでは、と言う印象を受けました。
その後、ラッキーは英雄オライオンの子孫であること、シシ座系の王子であるという設定が明かされましたが、それがラッキーのメンタルにイカーゲン戦ほど大きな影響を与えることはありませんでした。
むしろ、こうした設定はラッキーにとって余計なものにさえ思えました。
イカーゲン戦を終えた時点でラッキーの成長物語は終わっていたと言えましょう。
以降はむしろ、余計なドラマを与えず狂言回しに徹していても良かったのでは、とさえ感じます。
とはいえ、ギャグもシリアスも、そしてもちろんヒーローもこなせるラッキーと言うキャラクターが魅力的に描かれていたことは確かだといえます。
NOTオッキュー話はコレくらいにして、ここからはオッキュー!なポイントを語っていきたいと思います。
オッキュー!その1.12人の魅力的なキャラクター
5~6人を基本とする戦隊シリーズの中で12人と言う大所帯となった宇宙戦隊キュウレンジャー。
12人と言うのは、ヒーロー番組の味方側レギュラーキャラの人数としてもかなり多いものになります。この場合の味方側レギュラーキャラと言うのは、変身ヒーローだけでなく、変身せずに彼らを見守る司令官・後見人やマスコット、身の回りの人々も含めた人数です。
12人もいれば、いわゆる『空気な』、居てもいなくても良いようなヤツが一人二人出てきてしまうのが物語の宿命……かと思いきや、『キュウレンジャー』と言う物語では12人がそれぞれ魅力的に描かれていました。
もちろん、視聴者それぞれの好き好きはあるとは思いますが、チームの中でもバディ、トリオの魅力が描かれたことで、キャラクター一人一人だけでなく「アイツの横にコイツがいないのは考えられないよな」と思える間柄のキャラクターが生まれたように思います。BN団や、サソリオレンジ/スティンガーとオウシブラック/チャンプのコンビらがその代表格でしょう。
まぁ、常識人なカジキイエロー/スパーダ辺りは物語的に脇に回った感はありますが、アクの強い連中ばかりだからこそ彼のようなキャラクターは必要でしたし、終盤ワシピンク/ラプター283とのいい雰囲気が魅力的でした。
オッキュー!その2.志さえあれば誰でもキュウレンジャーになれる!
先程少し触れたラプター283と言うキャラクターですが、彼女は戦隊シリーズの中でも特に珍しい存在だと思います。
彼女は本来宇宙船のオペレーター、つまり非戦闘員です。こうしたキャラクターはフィクションの世界でも変身などはしないで(あるいは一話限りのサービス程度で)非戦闘員のままで終わることが多いんじゃないでしょうか。アニメでも、戦うオペレーターって聞いたこと無いですし……
しかし、彼女はワシピンクへと変身を果たしました。本来戦う力はないけれど、キュウレンジャーになるという志ただ一つで。
その後、リュウコマンダー/ショウ・ロンポーや少年戦士コグマスカイブルー/佐久間小太郎もまたキュウレンジャーとして戦うという志でキュウレンジャーへと変身を遂げました。(リュウコマンダーは正式加入に近い?)
「キュータマに選ばれた究極の救世主」。それがキュウレンジャーではありますが、そもそも選ばれるためにはキュウレンジャーになるという意志が必要であり、逆に言えばその意志さえあれば、着ぐるみキャラだろうと非戦闘員であろうと、誰であろうとヒーローになれる。
ヒーローになるかそうでないかは本人の意志次第と言うこの設定は大変魅力的であり、ヒーローにとって最も大切なことの1つを表したものと言えるでしょう。
オッキュー!その3.ロボット合体の新しい可能性を提示したキュウレンオー
キュウレンジャーのロボットであるキュウレンオー(及びリュウテイオー)はほぼ毎回異なる合体パターンで登場し、それが当たり前のものとして描写されました。
さながら、等身大戦でのコンビネーション攻撃の延長線のように、毎回出撃したメンバーが多彩な合体パターンを見せてくれました。
基本となる姿が決まっていて、他の合体パターンは特別なものとして扱われていた多くの戦隊シリーズとは異なる描写です。
多彩な合体パターンが当たり前の物として扱われるキュウレンオーの存在は、ロボットが様々なメカと連動する近年の戦隊シリーズのロボット演出に対して新しいアプローチで描ききったと言えましょう。
オッキュー!その4.アンラッキーな世界でも明るく楽しい物語
『キュウレンジャー』の舞台は、悪のジャークマターに宇宙が支配され、人々が虐げられる、最悪な世界です。
こうした世界を真正面から描こうとすれば、非常に重苦しい物語が展開されるように思えます。
実際、ジャークマターの非道さは各所で描かれ、キュウレンジャーのヒーロー達は多くの場面で辛く苦しい場面に立たされることも多かったです。
しかしどうでしょう。『キュウレンジャー』はどんな作品かと聞かれたら、多くの視聴者、少なくとも自分は「明るく楽しい作品」と答えます。
コミカルなエンディングテーマ、ワチャワチャしている12人、そして何より決して希望を捨てないラッキー。
重苦しい世界であることをきちんと描きつつ、明るく楽しい物語を両立したことは本当に”おっタマげた”ことだと思います。
・最後に
ここまで自分の感情を文字に起こして思ったのは、「自分、キュウレンジャー好きだったんだなぁ」と言うことです。
様々なNOTオッキューなポイントがありつつ(そしてそれは作品への期待の裏返しでもある)、それ以上にオッキュー!と思えるポイントも見つけられました。
『快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー』も、多くのオッキュー!なポイントが見つけられれば良いなと思います。