ムソウノカキオキ

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平成仮面ライダー歴私観1~平成ライダー以前のことをあれこれ~

 平成が終わり、令和と令和ライダーが始まって久しいですが、自分なりに改めて平成ライダーの歴史というものをざざっと振り返ってみようと思います。
 たぶん、これから先自分のような「『クウガ』からライダー観てました!」と言う仮面ライダーファンは絶対に少数派になってくるでしょうし、そういう人たちとの間で当たり前のように語られている話題って意外と分かって無い人も少なくない気もしますし。

 そんな方々のためにも爪痕を残したい当時こんなことを感じていたオタクがいたと言うことを残しておきたい気もしますし。

 

平成ライダーシリーズが始まるまえ その1

 『仮面ライダークウガ』以前にも”平成につくられた”仮面ライダーがいた」と言うことは仮面ライダーにある程度興味を持った方の間では敢えて言うまでも無いことかもしれませんね。

 『仮面ライダーBLACK RX』は、『仮面ライダーBLACK』の続編として昭和最後の年(昭和63年=1987年)から平成元年(1987年)の間に放送された作品。

 前作の『仮面ライダーBLACK』が原点回帰、つまり徒手空拳で戦うヒーロー、バイクアクションと言ったいかにも”仮面ライダー的”なポイントを押し出していたのに対し、この『BLACK RX』はその反対を行きました。

 いえ、作風としては当時の王道的な特撮ヒーローではありました。

 しかし、必殺技はキックではなく武器、敵が異次元から来た大軍団などこれまでの『仮面ライダーシリーズ(昭和ライダーシリーズ)』に見られなかった要素を意欲的に取り組んでいました。

 そもそも、前作『Black』から主演が続投すること自体がめったにない出来事。

 特筆すべき点としては、この作品の時点で、RXからバイオライダー、ロボライダーへのパワーアップ、つまり平成ライダーのお約束『フォームチェンジ』が取り入れられていたことです。

 原点回帰を突き詰めても個性になり、逆に王道に寄せてもそれはそれで個性となる辺りに、後の平成ライダーシリーズの萌芽を感じられるような気がしないでもないですね。

 とはいえ、『RX』の翌年に新しい仮面ライダーがテレビ放映されることは無く、オリジナルビデオ『真・仮面ライダー 序章』(1992年)、映画『仮面ライダーZO』(1993年)、『仮面ライダーJ』(1994年)が制作されました。

 実際、平成に入ってからもシリーズは継続していたワケではありますが、上記3作はビデオ店や映画館に”頑張って観に行かないと”観れないモノ。

 当時の子供たちにシリーズ継続を印象付ける効果は、残念ながら薄かったように感じます。*1  

 昭和仮面ライダーシリーズからして何回かの休止期間をはさんでいますし、『Black』(1987年)も連続TVシリーズとしては『仮面ライダースーパー1』(1981年)から6年後に放送。  毎年のように放送される『スーパー戦隊』とくらべると、”子供たちの横に当たり前にあるシリーズ"とは言いづらいところではありました。

 テレビと言う視聴のハードルが低いメディアに1年モノのシリーズとして帰ってきたこと。  つまり『仮面ライダークウガ』の放送が仮面ライダーシリーズの”復活”を強く印象付け、引いてはそれが『平成ライダーシリーズ』と言ういつから誕生したのかも定かではない言葉を生み出したのだ、とも言えるでしょう(大袈裟)。

 後から振り返るとそう感じるのでした。

 

平成ライダーシリーズが始まるまえ その2

 『仮面ライダークウガ』の放送枠である日曜朝8:00は、そもそも『メタルヒーローシリーズ』の放送枠でした。

 『メタルヒーロー』は、『RX』から前後すること1982年に放送された『宇宙刑事ギャバン』から『鉄腕探偵ロボタック』(1998年)までの、『仮面ライダー』と同じ東映制作のスーパーヒーローシリーズ。  作品によって単独ヒーローものだったりチームヒーローだったり、主人公を刑事にしたりロボにしたり、時に敵味方に個性豊かな忍者を配したり、時に『今週の怪人』を廃したりと各作品が意欲的な作品作りをしていました。  意欲的すぎて、メタリックなだけで全然違う作品同士を強引に『シリーズ』としてまとめている感も無きにしもあらずですが*2、放送枠の移動こそあったものの毎年放送され続けた シリーズであるという印象は感覚的には腑に落ちます。  そんな『メタルヒーロー』の放送枠を、『ロボタック』に似てなくもない石ノ森章太郎先生((ご存知『仮面ライダーシリーズ』の原作者。現代的な意味での”原作”とはちょっと違う気がしますがそれはさておき))原作の『燃えろ!ロボコン』をはさんで、『仮面ライダークウガ』が放映されたワケです。  もし、平成ライダーシリーズが現在ほど継続してなかったら、この期間は『石ノ森ヒーローシリーズ』なんて呼ばれていたかもしれませんね。  なお、『メタルヒーローシリーズ』(と『燃えろ!ロボコン』)は、ソフビ・アクション人形となりきりオモチャをメインの商品としてマーチャンダイジングを展開((メインスポンサーもライダーと同じ株式会社バンダイ))、作品によってはオリジナルビデオが販売されることもありました。  『平成(&令和)ライダーシリーズ』のビジネスモデルも、『メタルヒーロー』から継承発展した部分があると言えるかもしれませんね。  

 

平成ライダーシリーズが始まるまえ その3

 話は変わって、当時制作もとの東映は『東映オフィシャルサイト』を開設していました。

 このサイトでは、各番組各回のあらすじや見どころ、さらにはマニアックな制作裏話が掲載されていました。  今となっては当たり前ではあるのですが、それまでは関連書籍やビデオなどをお金出して買わないと分からなかった情報が無料で分かる状態ができていたワケです。

 つまり、インターネット普及率は『クウガ』放送当時と現代では比べるべくもなかったとはいえ、作品を観るだけでは分からないような話題がファンの間で当たり前に共有できる土壌ができていた『クウガ』放送前からできていた。

 この事実はのちの仮面ライダー史を語る上で大切なことなのではないでしょうか。

 

*1:とはいえ、いずれも劣らぬ名作だったとは後年ビデオを観た身としては言い添えておきます。

*2:実は、『スーパー戦隊シリーズ』も今のカタチに定義づけされたのは後年のこと。『シリーズ』の定義なんてアイマイなモンです