ムソウノカキオキ

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平成仮面ライダー歴私観3~龍騎、555編~

 平成ライダーの歴史を独断と偏見で振り返る平成仮面ライダー歴私観。

 今回は色んな意味でヒートアップしていく『仮面ライダー龍騎(りゅうき)』、『仮面ライダー555(ファイズ)』編です。

仮面ライダー龍騎(りゅうき)

 それは、叶えたい願いを胸に戦う13人の物語
 前回の『アギト』編で、ライダーバトルの賛否について触れましたが、『仮面ライダー龍騎』のライダーバトルは『アギト』から落ち着くばかりかさらに推し進められ増した。

 13人の仮面ライダーの登場です。
 それも、正義のヒーローではなく、自分の願いをかなえるために互いに殺し合うと言う設定。『仮面ライダーは自由と平和を守るために戦うヒーロー』と言う概念がまだ色濃かった当時としては驚きの設定でした。
 実際、前作『アギト』に登場した仮面ライダーはいずれも人々を守るヒーローと言う点は一致しており*1ライダーバトルはあくまでもその副筋となっていました。
 それが『龍騎』では、怪人は知性も高くなく組織化もされていないモンスター*2とされ、物語のわき役に。物語のメインは、自由と平和を守る戦いでは無く、ミラーワールドと言う閉じられた世界で繰り広げられる仮面ライダー同士の私的な戦いです。
 ドロドロなバトルロワイアル*3が繰り広げられつつも、一方で明朗な龍騎のキャラクターや、ユニークな仮面ライダーたちとにより『仮面ライダー龍騎』はキチンとヒーロー番組をしていました。
 もちろん、仮面ライダーたちがユニークなのは外見だけではありません。ライダーはそれぞれ、相手を倒してでも=人を殺してでも叶えたい願いの持ち主。願いと願い、個性と個性のぶつかりあい(物理)はそれぞれの仮面ライダーを2つとない魅力的なキャラクターとして魅せていました。
 また、ライダーたちの叶えたい願いは、どうしようもなく身勝手なものもある一方、身近な、あるいは切実なものも少なくありませんでした。大切な人を助けたい、不治の病を治したい、幸せになりたい……。
 果たして、戦いを止めたいと言う龍騎の行いは”正義”なのか、とさえ問われていきます。
 そして、”龍”と”騎”、つまり龍騎とナイト(=騎士)と言う二人の主人公のぶつかり合いと絆が核となっている点は、前作『アギト』からしっかりと受け継がれた魅力でした。

仮面ライダー555(ファイズ

 それは、”人間性”のはざまに生きる若者たちの物語
 『仮面ライダー555』は前3作で出来なかった怪人のドラマをやろうと言う意気込みで作られた作品。
 販促の面でも、可動フィギュア*4が怪人の人形と同サイズに変更されるなど、気合いが見られました。
 さて、『555』に登場する怪人=オルフェノクは、ふとしたことから怪人化能力を手にしてしまった普通の人々とされています。
 人間の姿を持つ悪役とのドラマと言う意味では『龍騎』の13ライダーからうまくスライドしてきたと言えるでしょう。
 オルフェノクは『龍騎』ライダーと異なり、オルフェノクでない”普通の”人間とぶつかり合う存在でもありました。
 正しいのは人間か、オルフェノクか。いやそもそも両者を分けるものは何なのか。
 物語はいつしか、敵組織を倒すだけでは終わらないような領域にシフトしていきます。
 そんなドロドロのドラマが、仮面ライダーの主人公ファイズオルフェノク側の主人公ホースオルフェノクの両者を通じて描かれました。
 そして、この作品はTVシリーズ全話を井上敏樹氏が脚本を担当。それまでも平成ライダーシリーズの脚本を手掛けてきた氏ではありますが、1年という長丁場にわたり全話の脚本をたった一人で書き上げることはなかなかできない偉業。ライダーシリーズには間々見られる偉業のとが多いため忘れがちですが。
 東映オフィシャルサイトで言及されたこともあり、これをきっかけにファンの間で良くも悪くも、これまで以上に脚本家と言う存在が注目されることが増えてきたように感じます。もちろん、これはアニメファンの間で脚本家が言及されると言う文脈と無関係では無いのでしょうが。

*1:仮面ライダーの暴走する正義』は描かれたものの

*2:設定では『ミラーモンスター』と呼称。

*3:2000年に公開された映画。『龍騎』はこの映画の影響が指摘されることが多いです

*4:S-RHFシリーズ