パンフレットの表紙の文言がこうも重い映画も、そうそうないだろうなぁ……
というわけで、『仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル』の限定上映を観てまいりましたので、感想をば。
(WARNING!この先、ネタバレしかございません。作品を観ていない方は誰であれ読まないでください!WARNING!)
・鑑賞前のコンディション
#オーズ10th#未見
— UG/YM (@fai2blst) 2022年3月12日
皆様からの断片的な情報を見ると、なんか不穏なんじゃが……
見送られる側だったアンクが見送る側になるみたいなエンドが想像できてアレなんじゃが!?#お前は何を言ってるんだ
(注:鑑賞前のツイートです)
今回、自分はtwitterに流れてきたネタバレなしの感想で、「これは映司が死ぬやつだ……」となんとなく予想がついてしまったんですよね。
視聴者に対して、賛否両論の、あそこまでの強い感情を次々に引き出すことができるのはただ一つ。
映司の死、それしかないだろうと、簡単に想像がついてしまった。
加えて、本編最終回で映司に見送られる立場だったアンクが見送る側にまわる、という対比が浮かんだ瞬間、不覚にも「アリ」と思ってしまい。
なので、最初から「映司くんのお葬式に行くぞ!」くらいに気持ちを作った上で作品を観た、観てしまった。
結果として、物語の結末を落ち着いて受け入れることができましたが、『予想がついた身』としてのバイアスが入った視聴体験であったことは否めません。
正直、何も知らずに観ていたらまた違った感想になっただろうと思います。
普通に考えたら、「オーズの10周年記念パーティーに来たと思ったらお葬式が始まった!」くらいの感覚でしょうしね。
twitterをやるのも、良し悪しというもの。
おのれネタバレ!(ネタバレじゃない)
・火野映司のお葬式
ぶっこわれヒーローとして、その生涯を生き抜いた男、火野映司の葬儀を執り行う。
それが本作のテーマです。
いえ、冗談も誇張も無く。
故人はどれほど偉大であったか。
どのような、悔いなき人生を歩んだか。
エンディングの『Anything Goes!』はまさに、故人の在りし日の姿、遺影です。(「変身!」の音声が入っていないことが、現実を見せつけてくれます)
それを、敵との戦いという体で、映司を取り巻いていた人々の口から語ってもらう。
火野映司の死を通して、その生の尊さを描く。
そうした作品であると感じました。
・映司の生きざま、死にざま
どこまでも届く腕、力。
TVシリーズの物語を経て、彼は手を伸ばす(人を救う)ことを自らの欲望、やりたいことだと自覚しました。
正義のためでも、使命のためでもなく、自らの欲望のために戦う。
つまり、自分を大切にすることと、危険に向かって自分の手を伸ばすことが矛盾なく成立している、してしまっている。
まさに映司の性、カルマともいうべきあり方。
もちろん、他者と手をつなぐという選択肢も学んだのですが、それはそれとして助けを求める手を前に、自らの危険を厭わず、全力を尽くすのが映司。
たとえ、古代王の復活がなくとも、この人助け欲望モンスターは危険の中で戦い続けるのです。
実際、小説版では人間同士の争う紛争地帯での彼の戦いが描かれていました。
そんな生き方を続けていれば、所謂『畳の上で死ぬ』―—―人並みの幸せ、安らかな死は難しい。
なにしろ、戦場にいる時間の方が長いんですからね。
本作では、その『火野映司イズム』が残酷なまでの誠実さで突き詰められています。
そんな火野映司が、人生の中で取ることのできる道は2つ。
ひとつは、その生き方を止めてしまうこと。
もうひとつは、その生き方のまま、人生を走りきること。
そして、ひとつめの生き方をする映司など誰も観たくない。
観たくない、ということを作品は突き付けてきます。
突き付ける役割にあるのが、ゴーダ。
”ゴーダが演じる映司”は、実にバランスが取れた人物です。
目的を果たすことと、自分の身を守ること。
その両方を重視しながら立ち回っていく。
その結果、古代王のオーズを倒すという偉業を成し遂げたのだから、素晴らしいことです。(アンクのサポートがあったとはいえ)
しかし、どこかで行ってもゴーダはゴーダ。
映司ではありません。
渡部秀さんが演じているにも関わらず、ゴーダの一挙手一投足を見るたびに「映司ならこんなことはしない」という思いに駆られます。
それは、冒頭、ゴーダが登場した瞬間から。
「これが今の世界だよ、アンク」
そう、安全地帯から淡々と言ってのける。
すぐ近くには、古代オーズの手で今まさに傷つけられているレジスタンス。
本物の映司であれば、それを見過ごすハズがありません。
いいえ。
そんなことをする映司なんて観たくない。
窮地に陥った人々に向かって、自らの危険を顧みることなく手を伸ばす。
たとえ、どれほどハイリスクであっても、どれほど体が傷ついていようとも……。
それこそが自分の観たかった映司なのだと、これ以上ないほどに突き付けられるのです。
だからこそ、本作ではもうひとつの道―—―火野映司が彼という人生を走り切った果てを見せるしかなかった。
そこに関して、自分は100点満点だったと思っています。
戦いのさなか、少女の身を守るために手を伸ばし、届かせる。
さらなる願いである、アンクの復活も叶える。
そのアンクと比奈が自らの最期を看取ってくれる。
満足、という映司の言葉は、本心からのものだと、自分は信じています。
・とはいえ……(おわりに)
もちろん、だからこそ人並みの幸せを手に入れてほしかったという思いを抱くファン心理も、とても良くわかります。
もちろん、主人公の葬式ならもっと贅沢に!という意見もネ。
繰り返しになりますが、劇場版でやることが主人公の葬式、というのは前代未聞なこと。
賛否両論の否の意見があって然るべき、いえ、むしろ無くてはならない作品。
自分は、本作が美しいと感じました。
しかし、否の意見があるからこそ、自分は安心して賛の意見を掲げることができるのです。
彼の死を悲しまないで、と思いながらも、映司のために涙を流す人がいなくてはならないように。
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