遅ればせながら、誰がための物語の感想をば。
それは、置いていかれた少女、果たされなかった約束、忘れられていた出来事の物語。果たして、そこに救いはあったのだろうか?
犬カレーさんめいた幻想的な演出と、様々な要素が散りばめられて独特な雰囲気。
ありすと遊ぶシーンでは、ハクノの普段なかなか見えない優しさが見える。もっとも、”白野”(?)のシーンも混ざっているので少し分かりづらいが。果たして、ハクノは「私を忘れないで」いてくれんたんだろうか。たとえ無理筋だとしても、その場しのぎにすぎないとしても、本伝より希望のある物語を少女に読み聞かせた白野少年の姿は、自分は好きだ。
意外な尼里ミサオの掘り下げ。にわか知識だが、『stay night』版シンジは”コンプレックスの強いキャラクター”というイメージがある。その部分を引き継いだのがミサオ?”シンジとはお似合い”というハクノ(?)の発言はまさに「冗談」。
とはいえ、自分の限界を知りながらも上昇志向を失わないガッツがある様子は、個人的には好きなキャラクター。
ありす、異形化への変遷。凛とミサオの対峙シーンが、視点の変化で全く違う意味を持つのが面白い。この場合はありすだけではなく、ミサオの視点も含む。
少女の首が伸びて垂れ下がっている様はこれ以上無く痛々しい。このモードに限らず、異形のありす(ナーサリー?)にはこれ以上無く”ありすらしい”意匠がブチこまれている。
キャスター、ナーサリー・ライムの解説を公式サイトで読むと、切なさが一気に増す。『FGO』の第一再臨の姿もあわせると、嗚呼……。
凛、夢幻召喚ランサー!と華やかな気分にはなれないシーン。一連のシーンはさユりさんの切なくも力強い歌声が彩る。
姿を変えたありすが倒されるシーンで、『怪物:野中藍』のテロップはキツい。
竹箒日記曰く、「未来を見送った」とは言うけれど、見送った側を”嬉しいこと”と割り切れるほど自分は達観していない。
つーか、マジで物語の比重はサーヴァントではなくマスターに置かれているのな。サーヴァントやバトルの比重はアニメ版『Apocrypha』とは全く違うから、『Apocrypha』の関連作品として観るとヤケドする……ということがようやっとこの辺りで分かってきた。
かくして、3回戦は終わった。願わくば、この物語が彼らの記憶に残るものでありますように。