ムソウノカキオキ

管理人の好きなこと(アニメ、特撮、オモチャetc)についてつらつらと語っていくブログです。色々遅いですが、よろしければコメントなどもお気軽にどうぞ

シン・エヴァンゲリオン:∥ ざっくり感想

 fgo感想はイベントを踏破してからまとめて書くとして(今日発表された新霊衣すごくカワイイですよね!)、今回は現在絶賛公開中の『シン・エヴァンゲリオン』の感想を、遅ればせながら書かせていただきたいと思います。
 前作『Q』の時はどうなることかと思いましたが、本作を観終わった後は、終わりをかみしめつつも、実にさわやかな心地でした。
 前作のあれこれをフォローして、しっかりエンタメしつつ、綺麗な幕引きを見せた、実に綺麗な大団円!
 そして、「自分はここまで『エヴァ』にハマっていたのか」と終わってから初めて気が付いたり。
 ……なので、今回あまり冷静に語れないかもしれません。

(以下ネタバレ注意。観劇されていない方は『絶対に』ご覧にならないでください)

 

 

 

 

 

 

 

 


・はじめに~いままで『エヴァンゲリオン』は終わっていなかった~
 1990年代後半に放送され、いわゆる旧劇場版こと『air/まごころを君に』で完結したとされる『新世紀エヴァンゲリオン』(以下、『旧作』と表記)。
 しかし、ほとんどのキャラクターが皆殺しにされると言うそのハードなエンディングは、皮肉にも少なからぬファンに「エヴァは終わった」とは感じさせなかった。
 個人的にはそのように思っていました。
 実際、旧作の完結後のインターネット上では、『エヴァの続き』を取り扱った二次創作が大量にあふれかえっておりました。(これに関しては色々語る余地があるのですが、長くなるので省略)
 それに、コミカライズの連載も進行中、さらに数多くのスピンオフ作品が生まれ、キャラクター達は旧作での凄惨なラストが嘘のように元気な姿を見せていました。
 『新世紀エヴァンゲリオン』は終わっていないまま、ただ時間だけが過ぎて行った……。
 旧作完結後から入った、にわかファンである自分でさえこう思うのですから、熱烈なファンの皆さんはもっと切実に『エヴァの終わり』を求めていたことと思います。
 そして今回、新劇場版の完結編『シン・エヴァンゲリオン』が公開。
 いろいろな意見があるエンディングだったかもしれません。
 しかし、『”エヴァ”を終わらせた』と言う一点においては一致するところでしょう。
 そして、僕はそのことにまず拍手を送りたい。
 なにしろ、これからは『エヴァ』を、『終わったんだか終わって無いのか分からない、宙ぶらりんな作品』ではなく、『終わった作品』としてようやく取り扱えるようになったのですから。
 ありがとう、庵野監督。
 ありがとう、名前の書ききれない『スタジオ・カラー』のスタッフの皆様。
 ありがとう、素晴らしいキャストの皆様。
 おかげで、僕は、僕の中の『エヴァンゲリオン』を終わらせられました。

……

 よし、ポエム終了!
 ここからは本編のお話です。

 

・人の弱さ、人の強さ
 前作『Q』での殺伐とした雰囲気の中、登場していないキャラクター達の生死が明かされず、気をもんでいました。
 いや、語られていないだけで、きっと一人残らず死んでしまったのだろう。
 『Q』の重苦しい雰囲気に、自分はそう思いかけていました。
 と、言うところから今作では第三村で大人になった友人たちの登場!
 序盤からトップクラスのカタルシスを感じました。
 そんな友人達からシンジ君に語られるのは、多くを失いながらもたくましく生きる人々の姿。
 本作では、こうした第三村に住む一般の人々やヴィレの人々の心身のたくましさが描かれています。
 あとあとで人類の英知が超常の存在に追いついた、みたいな話もあるくらい。
 思えば、『エヴァンゲリオン』と言う作品は旧作、そして新劇場版『Q』でこれでもか!と言うくらい人間の弱い部分を描いてきました。
 それを全て踏まえた上で描かれる人間の強さの描写は、実に感慨深いものがあります。
 人間の弱さと強さ。
 それが本作のテーマである、と言いきってしまっても良いでしょう。
 そして、それがシンジくん復活とシンクロしていきます。

・余談『世界滅亡』に対するリアリティの変化
 第3村と言う場所は、ニアサードインパクトと言う世界滅亡を乗り越えた人々のコミュニティです。(いわゆるアフターアポカリプス的なカンジ)
 そこは、そこまでぶっ飛んだ世界ではなく、むしろ物資が少ない中で『普通』(過去の世界と同じ姿)を取り戻そうとしているようにみえました。
 それが、実に”ありそう”に見えたんですね。
 ニアサードインパクトで、意外と人類が多く生き残っていたことも含めて。
 思えば、『旧作』放送から約25年。
 世の中には数多くの”世界滅亡の危機”にさらされました。
 3.11からのテロ、9.11の大震災、今回の新型コロナウィルスもまさに世界的な危機でした。
 それでも、世界と人類は、90年代頃のフィクションで描かれたように、一息に滅んだりはしませんでした。
 そして、当時はきっと、たとえば使徒のような何か巨大な力で世界が呆気なく、一息に滅んでしまう描写の方が”ありそう”に感じられたはずです。
 むしろ、多くを失いながらも、その状況を日常の一部として受け入れて、なんだかんだ生き続けています。(ニアサードインパクトと言う仰々しい言葉が、『ニアサー』としてごく当たり前に使われているのが良いです)
 こうした情勢を踏まえて見ると、『”世界滅亡”に対する視点は変わった、あるいは変わりつつあるな』と感じました。
 

・コミュニケーションのバトン
 『Q』で監督達にいじめられて酷い目にあって精神に傷を負ったシンジくん。
 物語の序盤に科せられたタスクは彼の復活だったわけですが、映像上では(それを克明に描きつつも)ちょっとだけ脇にそれます。
 それが綾波レイ(仮称)ちゃんの第三村物語(オイ)
 個人的には、この序盤約1時間だけでも、作品として満足度が実に高かったです。
 レイ(仮称)は第3村の人々と触れ合い、「ここにいたい」と願うまでに感情・自我を獲得し、自己を肯定するところまで行きます。
 そして、根気良くシンジとコミュニケーションを取ろうと試みます。
 そんな彼女の生と死が、シンジを再起させます。
 復活したシンジは、最終的にゲンドウたちとの対話を通して物語を完結させました。
 これは、レイや仲間達の根気良いコミュニケーションによって前を向くことのできたシンジが彼女から『コミュニケーションと言うバトン』を受け取ったのだと感じました。

 

・バトルシーンのお話
 物語的にはぶっちゃけ無くても良いよね(オイオイ)
 とはいえ、それぞれのシーンは非常に魅力的で、物語に大輪の花を添えてくれました。
 これはエヴァのオモチャ(フィギュア)がすごく欲しくなるものばかりです。
 ニコイチ2号機があんなに魅力的に感じられるとは、実際に観るまで思いもよりませんでした。
 ヴンダーも、『Q』のときは「これは戦艦好きじゃないと駄目な感じかな?」と思いましたが、同型艦とのプロレスシーンが実にスリリング。コッチもエヴァと同じで、艦船と言うことになっているけど、まんま大怪獣ですよね(笑)
 過去の特撮へのオマージュは今回トップクラスにあからさまで、8号機のワイヤーアクションに、マイナス宇宙でのバトルなど、まさにアニメで作られた特撮。マイナス宇宙戦は、ホンモノではない=作られた舞台であることの表現だからああなったのか、あるいはこのシーンを作るためにこう言う設定になったのか気になるところです(笑)
 とはいえ、爽快感がありつつも、グロ要素をしっかり入れ込むあたり、「エヴァってこう言う作品だよね」としみじみ思ったり。

 

・ラストシーンの解釈とカップリングのお話
 成長したキャラクターたちが実写の街へと駆けだす、物語的にも映像的にも美しいカット。
 ファンの間では、明らかにシンジとマリが付き合っていることの衝撃も大きかったようですが(苦笑)さまざまな解釈が出来るシーンですよね。
 自分は、数年後のイメージシーンに近いのかなと思いました。
 あの世界の未来が現実そのままになる、と言うのもできすぎですしね。
 また、シンジの声音や服装からして大学生くらい(3,4年は経過している?)だと感じました。
 それだけの期間があれば、シンジとマリが仲良くなってお付き合いすると言うことがあってもおかしくは無いでしょう。
 これは、アスカやレイと付き合う未来/付き合っていた過去を否定するものでもないと思います。
 (アスカに関しては、あのままキレイに終わった方が物語的に美しいとは思いますが、それはさておき)
 なのでアスカ派もレイ派も、もちろん他のキャラクターとのカップリングを推す人も悲しむ必要は無いと思います。
 彼ら、彼女らの未来はまさに無限大なのですから。

 

・さいごに、時間のお話
 時に、2015年……と言う設定でスタートした『旧作』。
 この年代が近くとも遠い未来の世界=『新世紀』に感じられた時代は、もうすっかり過去の物となりました。
 そうした事情から、今回の新劇場版シリーズでは2015年設定と共に、タイトルから『新世紀』が取っ払われたと言う裏話は良く聞きます。
 さて、本作に敢えてその設定を強引にあてはめるとすれば、舞台は2029年と言うことになります。(オフィシャルではありませんが!)
 それは、いまから約8年後のこと。
 8年と言う月日は少し遠いけれど、頑張って生きていればたどり着けそうな時間。
 SF作品の舞台としては近すぎるかもしれません。
 しかし、8年後に、「そう言えばこの年に『エヴァ』が終わった(かもしれない)んだよな」と振り返る。
 本作を通して、スタジオカラーが僕達にそんな未来をプレゼントしてくれたと思うと、今日も未来に向かって生きていこう。
 そんな気持ちになってきますね。