期間限定上映中の『仮面ライダー555』20周年記念作品。
その感想を言語化させていただきました。拙いながらも、皆様の作品理解の一助となれば幸いです。
いやはや、これまた攻め攻めの作品ですなぁ。
以下、ネタバレにご注意を!
・20年後の死生観と真理
んー、引っ掛かった所、先に行きますか。
オルフェノク化した真理。手術室に入った玲菜が見たのは灰化したスマートブレインの医師たち。オルフェノクの本能による殺戮の暗示……ココが一番引っ掛かりました。
真理による殺人です。
なにしろ『555』をはじめ、東映特撮において、殺人描写は大変に重い十字架として描かれることが多い。人を殺すのはいけないことだ、と示す意図もあってか、殺人を犯した登場人物はだいたい悲惨な最期を遂げるのが、ニチアサのお約束でした。
しかし、ワイルドキャットオルフェノク=真理によるこの殺人が顧みられることは無く(真理からも物語からも)、アッサリ流され、真理は五体満足で物語を生き残ることに。
人殺しが許されない、と言うのはニチアサの物語構造では結構大きなルールだと思っていたところなので、ココは大いに戸惑いました。
もっとも、海堂たちもオルフェノクを守るためにスマートブレインの人間の命を奪っているかもしれませんし、主人公の巧にしたって画面に見えていないところで罪のないオルフェノクを倒していたのかもしれないのですが……。
しかしながら、裏を返せば、20年の変化がココにあらわれている、とも言えます。
本作では誰かが死んだ、殺された、と言うのを作中人物が引きずっている様子を見せることは少ない。
コウタがヒサオの死をきっかけに間違いを犯してしまうのが唯一の場面でしょう。
つまり、20年経ったメインキャラクターたちの死生観の変化が観られるわけです。
人が死ぬ、殺されることなんて、何も特別なことでは無い、と。
老成した死生観と言っても良いでしょう。
ひょっとすると、井上敏樹先生の死生観が出ているのかもしれません。
たとえば私の親も、友人知人の訃報を聞くことが珍しくない世代なわけですが、登場人物も同じような心持なのかもしれません。
登場人物は井上先生よりは若年ですけれども、たぶん、この20年で私たちの知らない多くの人間(オルフェノク)の死を見て来て、死と折り合いをつけることが日常になっているんじゃないかと思います。そうしてきた中には、きっと木場や結花も含まれるのでしょう。*1
死は生の隣にある、ごく自然なことなのだ。
オルフェノクになることも、同じように。
そうした自然を受け入れて、折り合いをつけながら、日々できるささやかなことをやっていこうというのが、本作と真理たちのスタンスなのかもしれません。
まぁ、大人の死生観だけだとストーリーが大分シブくなるので、ケイたち若い世代の物語はやはり必要。
たとえ上手く行かなかったとしても、死に抗うこともまた、生きると言う事なのです。
・真理、戦いの舞台へ
とまれ、真理のオルフェノク化。
20年前の彼女は、啓太郎ともども巧たちに守られる立ち位置でした。
かつては文字通り女子供だった真理ですが、現在でもそのままってどうなの?と言うところにメスを入れたのが今回だと言えます。
本作はまさに、真理を守られるだけの立場から、戦いの舞台に上げるための物語だと言えるでしょう。
そして、クライマックスでは巧=ファイズと真理=ワイルドキャットオルフェノクが肩を並べて戦う姿が描かれます。
それは、これからも対等な存在として、共に支え合って生きていく二人の関係性を象徴するようでした。
・巧と真理の一夜
巧と真理が関係を持つと言う、二人の関係性の変化。
ココは、ずっと名前の付いていなかった二人の関係に、愛と言う名前が着いてしまったようで物寂しくもあります。
実際、ココから王道な『愛の逃避行』に物語のドライブがかかるし。
ただ、何年も一緒に居た男女の異性愛者同士であれば、時が経つにつれ、そうした関係に収まることも、まぁあるのかな?とも思えます。
とはいえ、「お前を愛している」みたいな言葉が交わされることは無いので、二人の関係はほんのり曖昧かもしれません。
直前まで「死人の意見なんか!」とこれ以上なくキッツイことを言っていた真理が、巧の「助けてくれ」で彼を受け入れるのは、すごく真理らしいように思いました。
小説版での草加の関係がズルズル続いてしまったのも、そういうところだしね。
オルフェノクも人間なのだから、あの姿でそういうことをすることもあるのでしょう。
触手を情熱的に絡め合わせるのは、さすがに見てはいけないものを見てしまった感はあるが、他人さまの行為を覗き見ると言うのは、そもそもそういうものなのかもしれません。
とはいえ、行為それ自体はそこまで重要ではなく(なので、もっと描写は少なくても良かったくらいかも)、その後の会話の方がドラマ的には重要そう。
「巧、答えは?」
「そう問い続けること」
「誤魔化してる?」
「ああ、誤魔化してる」*2
大人の男女の本音を交わすのには、関係性をここまでもっていく必要があるだろうと井上先生が判断されたのは、腑に落ちるように思えるんですよね。特に、巧と真理のような不器用で意地っ張りな二人の場合は。
・死者のアンドロイド
ドラマとしてはココまででエンディングと言っても過言では無いのですけれど、仮にも『仮面ライダー555』なので、最後は誰かを倒さなくてはなりません。
そこで登場するのがスマートブレインが誇る本作きってのトンチキ……もとい、アンドロイドの北崎と草加。
北崎の正体バレは、藤田玲さんが魔戒騎士で鳴らした生身アクションをたっぷり堪能させてもらいつつ、「コイツなかなか変身しないな……」と違和感を最大限に抱いたところで、と言うところなので見事劇的。
「北崎と草加が死んでいることなんて、視聴者はみんな知っているだろ?」と良い意味で見事な冷や水をかけられた気分でした。
草加は本人も無自覚なスリーパーエージェントで、ギリギリまで覚醒することを拒むのが哀れを誘います。今回の草加さん、比較的キレイな草加さんだったのになぁ。
とはいえ、両者ともに20年も経てばこういう風に変わるだろうと言う所と、いや故人とは似ても似つかないわ!と言うギリギリのラインを行っているのが絶妙でした。
いずれにせよ、今は亡き草加雅人と北崎の人生を冒涜する存在には違いない。
生きることを肯定する本作の物語の敵役は、人生の冒涜者が相応しいと言う事なのでしょう。
それにしたって、人間型アンドロイドと言うのは『555』の物語には過去ほとんど存在しなかったわけですが、強化服のある世界ならギリギリ、本当にギリギリ通るアクロバットです。
・乾巧は仮面ライダーである
ここで、敵の話をもう少し深めていきましょう。
主人公たちオルフェノクと弾圧者スマートブレインと言う構図。
つまり、今回は『敵はスマートブレイン』と言う点を維持しつつ、テレビシリーズの主人公陣営対ヒトを襲うオルフェノクと言う構図から大きく変わっています。
代わりに、スマートブレインの在り方(絵面)が再整理されているのです。
スマートブレインは人間(とアンドロイド)の組織であり、大量のライオトルーパーが戦闘員、さらに上位の存在=怪人相当のミューズとファイズがいる。
設定はさておき、ビジュアルとしては古式ゆかしい悪の組織に近い形になっています。
そして、彼らの非道はオルフェノクと言う人種の生きる自由のみならず、構成員である巧や玲菜の自由をも押さえつけています。
対して、味方側の仮面ライダーのうち、カイザは実は敵であり、デルタも残念なことになってしまう、とやや目立たない。
この世界にヒーローは、仮面ライダーはいないのか!と言う所に、巧の裏切りと言う構図がグッと効いてきました。
そう、悪の組織を裏切り、自由のために戦う男、仮面ライダーがここに再誕を果たすのです!
これって『仮面ライダーthe first』*3じゃない!?と言うのはさておき、よもや20周年になって、初代仮面ライダーへのリスペクトを強めてくるとは思いませんでした。
スマートブレインをショッカー的な人間の自由を奪う悪、対する巧を(自らを含めた)人間の自由のために戦う仮面ライダー、と第1作に則ることでそのヒーロー性を改めて宣言して見せるのは素晴らしい落としどころでした。
・決戦
ラストバトルはサービスたっぷり。おそらくは脚本段階からかなり膨らませたのではないでしょうか。
本作の戦闘シーンは田﨑監督の手腕がバッチリと活かされ、重めの人間ドラマとスタイリッシュな戦闘シーンと言うテレビシリーズの特徴がバッチリ踏襲されています。
欲を言えば、真理にもネクストファイズに変身してもらって、新旧ファイズ揃い踏みも観たかったところだが、ココは巧と言う仮面ライダーの存在を際立たせるためにやむを得ない所か。
・エンディング
メカ北崎&草加を倒したものの、戦いは終わらない。
結局のところ、現在のスマートブレインを作り上げた(日本政府の?)人々の姿は画面には登場しないので、敵の奥底が最後まで見えないのが不気味。
新社長を前にスマートレディのふるまいには人格を感じられず、少なくとも今回のスマートレディの正体が暗示されているようにも思えます。
レディの前で意味も無くニヤリと笑う草加新社長。役者さんの名場面再現であるものの、脈絡の繋がらなさは、故人・草加雅人の冒涜を強調するようです。
一方、菊池家の穏やかな食卓。
序盤から、啓太郎や木場、結花がいない様子にはどこか物寂しさがあったが、更に人数が減ったものの、寂しさがありつつも、穏やかな日常を取り戻そうとしている姿がいじらしい。
キャストの方もインタビューに語られているように、まさに『555』が帰ってきた感じで、本作はこの穏やかな食卓に巧が帰還するまでの物語だったと言えます。
ひょっとすると、巧の命は明日にも終わるかもしれないけれど、こんな穏やかな時間が少しでも続けば良いな、と言う思いがありますね。
・さいごに
20年後の続編と言うことで、小説版をはじめ、様々な『555』の要素、そして井上敏樹先生の人生観をも感じられる作品でした。
一方で、スタイリッシュな戦闘シーンが健在なのもまさに『555』。
間違いなくアクの強い作品ではあるものの、これはまさに『555』だと言う満足感のある作品です。